2012年11月13日火曜日

リド島のANDRI

ヴェネツィアが面するアドリア海は海水の養分が多く魚介が信じられなく濃厚で美味しい。本島から15分ほどのリド島にあるトラットリアANDRI。前菜の魚介の盛り合わせは私の中で人生最後に食べたい一皿になっている。その中の1品。Granchio クモガニ 外見は日本のタラバガニ、身は毛蟹を繊細にした感じ。それを蟹ミソとオリーブオイルで和えただけなのだけれど本当に美味しい。今までヴェネツィアに行く人に教えてあげたのですが予約なしでは満席で断られるので要予約。ヴェネツィアの微発砲ワインは美味しいけど回りやすいのでほどほどに。リド島はヴェネツィア映画祭の会場なのでANDRIはデニーロやスコセッシが常連だと聞いた。タケシ監督も行ったのかな?

2012年11月12日月曜日

ヴェネツィアが水没

大好きなヴェネツィアが水没とニュースで報じられていた。アクアアルタと呼ばれている。以前行ったときも一度遭遇してしまった。サンマルコ広場の近くに宿を取り一休み。波の打ち寄せるような音が気になり外を見ると信じられない光景が。。道路が冠水し人々が靴を手に持ち水の中を歩いている。膝の上までの水位の中を街に出てみるとお店はすべてクローズ。バールでワインを1本確保し、行きの飛行機で出たおつまみのピーナッツで悲しいディナーだった。翌朝には水も引き、街の人は慣れた様子で大理石の床をモップで拭いていた。秋の大潮は多くあるが、春には珍しいと聞き貴重な体験ができた。

2012年11月9日金曜日

イタリアに魅せられて

イタリアに魅せられてしまった私は翌年の春から毎年イタリアに行くことになる。雑誌や広告をメインとしているカメラマンの仕事は印刷所に合わせてスケジュールが決まる。印刷所は土日、祝日はお休み。その前にデザイナーの仕事がありその前に撮影。つまりゴールデンウィークやお盆、年末は普通の人より早めにヒマになってしまう。そんな訳で毎年4月の後半、航空券が一番高くなるちょっと前、17、8日に日本を脱出。ゴールデンウィーク明けに編集会議がありその後撮影依頼が来るので約3週間、予定も立てずイタリアに行った。街に着き駅にスーツケースを預けその日の宿を歩いて決める。ネットもない時代なので自分の勘と気分で探す。ペンショーネと呼ばれる安宿が多かった。宿が決まると地図を広げエスプレッソと呼ばれるイタリア版ミシュランで食事に行く店を探す。20点満点で評価があり、おおよその予算もわかる。全部イタリア語なので安くて美味しそうな店をこれもまた勘にて決める。日本人が来ないおいしい店にあたる確率が高いがメニューがイタリア語か、置いていない場合が多い。ない場合カメリエーレと呼ばれるお店の人からメニューを聞く。イタリア語しか喋れない人が多いが英語で説明してもらっても巻き舌で早口で料理名を続けて言うものだからなかなか理解出来ない。ある時など「英語で言ってもらえますか?」とお願いしたら「これは英語だ」みたいなこともあった。メニューが出てきたら持参した白水社のイタリア料理用語辞典と格闘して注文となる。

2012年11月8日木曜日

イタリアに感動!

飛行機のタラップを降りた瞬間、来る季節を間違えたことに気がついた。東京より湿度が低いせいか吸い込む空気が肺の中まで凍り付いた。だがそんなことが一瞬で消え去った。飛行機のタラップまで迎えに来たバス、空港内のシートの色、公衆電話、消火栓、、、すべてが、すべてのデザインに感動してしまった。街も古い建築に新しいデザインが調和し素晴らしかった。特に印象に残ったのがヴェネツィア。車が入ることを許されていないので交通機関は水路のみ。ヴァポレットと呼ばれる水上バスが乗り場に付いたときのスクリューの音、波の音、横縞のTシャツを着たイケメンの船員の行き先を告げる掛け声、今でも耳に残っている。ミラノ、ベローナ、ヴェネツィア、フェレンツェ、ローマを周り撮影に使えそうな食器やキッチン用品を買い漁り、帰りの空港ではスーツケースが2つに増えていた。帰ってからのカードの支払いが大変だった。

2012年11月7日水曜日

初めてのイタリア


イタリアに行ってみたいと思ったきっかけはやはり食べ物だった。フリーランス・フォトグラファーとして独立した当時、雑誌で料理の写真を撮ることが多々あった。ある雑誌でスパゲッティの特集があった。当時の日本はイタメシ・ブームのちょっと前。お金のないアシスタント時代を経て独立した私はナポリタン、ミートソース、ペペロンチーノぐらいしか食べたことがなかった。おそらく日本人の9割以上が同じだったと思う。そんな時西麻布のアルポルトの片岡護シェフのお店に撮影に行った。パスタを12皿ほど順番に撮影した記憶がある。1皿撮影し終わると片岡シェフが僕とアシスタント、編集者に食べろとフォークを渡してくた。12皿をスタッフ3人で食べた。こんな美味しい食べ物のある国に行ってみたい!すぐにパスポートを申請し その2ヶ後、11月の終わり。ミラノ・マルペンサ国際空港にいた。初めての外国だった。

2012年11月6日火曜日

リパリを見て死ね!

旅に行く場所の基準はまず美味しいものがあるところ。20年以上前の雑誌ブルータスのイタリア特集にあった「リパリを見て死ね!」これがシチリアに行くきっかけだった。まだネットなんてない時代。地球の歩き方の最後に数ページだけシチリアの情報があるだけ。ローマ、ナポリを経由してシチリアに。どうにかたどり着いたリパリ島。ブルータスの記事にあった名前の怪しいリストランテ「フィリピーノ」に小雨の中、迷いながらたどり着いた。その時食べたスパゲッティ・ボンゴレの美味しさが忘れられない。カメリエにロッソorビアンコと聞くも違うと首を横に振る。ちょっとカレーに似たスパイシーな香草フィノッキオだと数年後に判った。このお店で以前受講したモンテ物産のイタリア料理セミナーの講師で来ていたアクパッツァの日高シェフが修行していたのをつい最近知った。

2012年11月5日月曜日

断捨離

今日はレストランでの前撮り撮影。曇り空だったので外でのウェディングドレスの花嫁は寒さで固まっていた。週末もウェディングの撮影だったので明日は時間が取れずに延び延びになっていた個展に向けてのダークルームの整理。全紙と呼ぶ大きな印画紙のプリントスペースの確保のため苦手な断捨離(笑)。

2012年11月2日金曜日

家族の絆

シチリアでは男の子が産まれると結婚のために土地を買い、コツコツと家を建て家具を揃え贈ると聞いた。
そんな家族の繋がりが根底にあるのがシチリアを旅すると伝わってくる。
週末は家族が集まりマンマの手料理で盛り上がる光景をよく目にする。
その最大のイベントが結婚式だと感じる。
親戚、友人が集まり新郎新婦を祝福し喜びを分かち合う。
一瞬を切り撮っただけかも知れないけれど少しだけでも幸せを共有出来ればと思う。
先行き不透明な日本で。

2012年11月1日木曜日

6月の花嫁


3.11以降仕事以外でシャッターを切ることがない日々が続いていた。
被災地に足を運ぶカメラマンたちに多少の応援をしてはいたが、日々の仕事に追われ東京から離れることの出来ない自分に悶々としていた。
大した思いもなくシャッターを切ることが無意味に感じた日々が続いた。
そんな折、イタリアでも大きな地震のニュースがテレビで報じられていた。
ふと、2008年の写真展決定後に再訪したシチリアのアグリジェントで大変お世話になったYokoさんを思い出した。
そのとき撮影したコンタクトシートを見直しているときに今回のテーマ「6月の花嫁」が浮かんだ。